いよいよInterviewの日がやってきた。

自分の頭の中では、既に採用される事を信じて疑っていなかったので、家族を同伴してやってきた。家族を連れてきたのは、来年から住む事になる街を見せるついでにアパートもある程度絞り込むつもりだったからだ。

面接当日は、遅刻してはならないと思い、予定時間より2時間も前にホテルを出発し、約束より1時間半も前にプログラムのオフィスに着いてしまった。とりあえず、オフィスの受付のねーちゃんに到着を告げ、1時間半ほど待つつもりでいたが、ねーちゃんは早速最初のInterviewerのお偉い先生に連絡をとってしまった。案の定、予定外の事に半ば腹を立てたお偉い先生が不機嫌そうにやってきて、廊下でInterviewを始められてしまった。彼とのInterviewでは大した事を聞かれなかったが、最後は和やかな雰囲気で彼のオフィスでコーヒーを飲みながら握手を交わせたので、緒戦は勝利といったところだろう。
次に廻ってきたのは、この移植外科プログラムの大御所の先生で、彼とも終始和やかな雰囲気で、ベーグルを買いに行きながら移植外科の志望動機や現在の研究内容について話をした。しかし、ここで想定外のことが起こった。大御所先生のおっしゃるには来年夏からのポジションは既に埋まった可能性があり、その場合は再来年の1月から採用してくれるという。採用してくれるというのは嬉しいものの再来年1月からというのは想定外だったので、複雑な心境のまま次のInterviewに移った。
次のInterviewer(正式にはInterviewに入っていなかったが)は日本人のFellowで最も僕が話を聞きたかった人種だ。彼は異例の4年目のFellowで、あまり聞く事の出来ないプログラムの悪い点についても聞く事が出来、貴重な情報を得ることが出来た。彼と昼食を食べていると、次のInterviewerの日本人attendingの先生が輪に加わり雑談のなかでinterviewを終えることが出来た。

最後は、このプログラムに応募するに当たり色々とお世話になっているもう一人の日本人Attendingの先生と話をした。ある意味本当のInterviewerというのは、この先生だけだったような気がする。色々と話を聞かれたが、最後は先生が執刀する移植手術を見学させてもらえる事になった。しばらく手術場から離れていたし、米国の手術場に入ったのも初めてだったのでInterviewに来た事も忘れて手術見学に没頭してしまい、結局この先生と話を煮詰める間もなく時間が過ぎてしまった。

ホテルに残してきた妻子に申し訳ないと思いつつも夜遅くまで手術を見学し、初めて見た移植手術に感動しながらホテルに帰ってみると、予想通り妻はお怒りの様子で迎えてくれた。10時ごろに家族揃ってホテル近くの中華レストランで食事したが、予定より帰りが大幅に遅れたことと、来年7月に仕事を始められる予定だったのが、また先が見えなくらってしまったことで、妻は怒りの大魔神状態で、僕はというと初めてのInterviewと続く手術見学、妻の怒りを鎮めるため(妻はきっとそう思ってはいないが)に憔悴しきっていて、更に昼間遊びすぎた子供たちは睡魔と戦っている状態で、きっと傍からみると非常に不幸そうな家族に見えたに違いないのだろう。レストランのおばちゃんから、「あなたたち皆疲れてそうね」などと慰めの言葉をもらいながら遅い晩御飯を食べ、ホテルに帰った。

これがInterviewの日の出来事だった。