医局ヒエラルキーの終焉とチェンジリーダーの条件

今日はタニマチT橋先生のクリニックで一日バイトの後、大学時代の同級生で呼吸器内科医のY家と医局の後輩のT橋と飲みに出掛けた。Y家は学生時代からクールな男で、大学卒業後も仲良くさせてもらっている。T橋は生来調子の良い男で、憎めない男だ。
そんな二人が、僕がChapel Hillに留学に行く前に勤務していた病院に勤めている。帰国直後よりこの二人とは飲みにいきたい思っていたが、今日運良く二人と同時に飲むことが出来た。T橋は相変わらず調子よく、将来一緒にベンチャー企業を立ち上げましょうなんて言っていたが、横暴な医局人事よく耐え、明るく振舞っていた。Y家も循環器内科がメインの医局で呼吸器内科グループに属していることに肩身の狭さを感じているようだ。二人ともとてもいい男で、医療にかける思いも熱いものを持っている。こんな二人がともに大学医局に不満を持っている。
二人が属している病院は、つい3年前までは地域の中核病院となれる資質を持っていた。しかし、我が大学に新任の内科教授が赴任してからというもの、彼の医局員が次々と辞めていってしまったため、その病院に医師を派遣することが出来なくなり、それまで二人いた内科医を引き上げてしまった。おかげで、病院の内科は成り立たなくなり、その負担が今日一緒に飲んだ二人に重くのしかかっている。新任内科教授が非常に優秀な研究者であることは誰もが認めると思う。しかし、このような状況をこの病院に限らず、県内各地の病院で引き起こしてしまったことには問題を感じる。一般企業ならこのような状況を引きおこしたトップは即座にクビだろう。責任の所在を追及することは当然だと思うが、まずはこの状況を認識し、対応をとるべき機関が大学に無いことが非常に問題だ。こんなことが許されるから研究業績ばかり追い求めて教授になろうという輩が続出しているのだろう。また、大学も地位を確保したいのならこの状況を何とかするべきであろう。
こんな話しをしながらも、今日は楽しく旧交を温めることが出来た。
今日の飲み会から生まれた格言。

「人生、消化試合を生きてはいけない。」

P.F.ドラッカーも言っているが、変化を認識し先導できるチェンジリーダーにならなければならない。これが今日の飲み会での収穫だった。